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『花束みたいな恋をした』結末の意味は?最後のラストシーンを考察してみた

2021年の大ヒット映画『花束みたいな恋をした』。

含みを持たせたラストシーンは多くの人に考察されており、ファン同士で想像(妄想?)を語り合う…という方も多いのではないでしょうか。

こちらではそんな『花恋』の結末に込められた意味を、5人のファンの方に語っていただきました。完全に主観で感想・考察を吐き出してもらっています!

ぜひ『花束みたいな恋をした』と一緒にチェックして下さいね。

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『花束みたいな恋をした』結末の意味は?ラストシーンを5人が考察

『花恋』のラストシーンといえば、多くの人が『初デートで訪れたファミレスに行っての別れ話』を想像するかと思います。

こちらのページでもその認識で『結末の意味』を考察していただきましたが、どこからどこまでがラストシーンか?についても主観で語っていただいています。ご了承ください。

 

現実を突きつけられた2人に、一緒にいる覚悟は出来なかった

20代女性

絹の芯の強さと決意

思い出のファミレスに2人で行き、お互いが別れ話と察しているところが何よりまず悲しかったです。まず一言目に絹が麦に「家は私が出ていくよ」と伝えましたが、「別れよう」といった直接的な言葉を使わなかったのは何より衝撃でした。

麦も同じ気持ちなはずなのに、いざ絹を目の前にしたら、別れることが怖くなってしまい、思わず泣いて「別れたくない」と言ってしまいますが、私も絹の意見に賛成です。いくら今この時が辛くても、辛いのは今だけ。今そう思うだけ。私たちは別れるべきだ。という最後は女性の芯の強さが感じられてグッときました。

二人は向いている方向が違ったのか

2人は恋人としての相性は抜群だったかもしれないけれど、人生を共にするパートナーとしてはお互いに向いてる方向が違った。

何より1番の辛さの原因はお互いがそれを分かっていながらも、見て見ぬふりをして過ごしてしまった事だと思います。別れるタイミングはもっと他にあったはずなのに。ズルズル付き合ってしまったが故に、これから1人になる不安と、別れたあとの自分を想像することができない。

もはや家族ともいえる距離にいた人を突然失う悲しさ。自分たちも今まで経験したことのない感情に襲われたのではないかと思います。

悲しくも自然体なラストシーン

私はこの2人には別れてほしくない。このまま2人でずっと一緒にいてほしいと観ていて思ったけれど、現実を突きつけられた2人に、一緒にいる覚悟は出来なかったんだと思います。それに、若いカップルがファミレスに入店し、まるで自分たちの分身のような姿に思わず絹が泣いてしまうところも、すごく悲しかったです。

すごく好きなはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう、あの時こうしていれば....2人の中に絶対後悔は残るとは思いますが、やはり最後には絹の別れるというブレない芯を貫き通してお別れを選びましたが、個人的にはその後の別れてからしばらく同居を続ける2人の恋愛感情がなくなったが故の自然体な感じが1番好きなシーンです。あれを観ると別れなくてよかったのでは?と思ってしまいますね。

 

男女の恋愛の「始まりから終わりまで」をひたすらに見る2時間4分

20代女性

最高のバッドエンド

物語に起承転結はつきもので、でもこの映画はどこから終わりなのかそれぞれの解釈になってしまうものなのかなと思います。予告にもあるように“始まりは終わりの始まり”。

結=終わりなのであるならば、予告の言葉を借りるのであれば、出会った瞬間(起)から別れの瞬間(結)もイコールで繋がっているのか?と一括りにラストシーンといってもそれぞれだと思うので今回は友人の結婚式に行くシーンからをラストシーンと捉えて綴らせてください。

新たな恋愛観

『花束みたいな恋をした』タイトルにあるように“恋をした”過去形になっておりその文字列を見ただけでなんとなく別れがくる物語なのだと予想ができます。

大病を患うわけでも、ましてや異世界に転生したりなどもなくただただ2人の男女の恋愛の始まりから終わりまでをひたすらに見る2時間4分。恋愛において何が大切で何が正しいのかを考えさせられる映画だと感じました。ですが何度見てもどうしても毎回印象が変わってしまう。不思議な映画だと思います。

友人の結婚式に行くことになったふたりを見て、もしかしたら、あの時のあのズレがなければ「次は私たち…」なんて言いながら笑い合う2人の姿もあったのかな、と思いました。

喧嘩から2人の中で「結婚」や「プロポーズ」がどうしてもトラウマになってしまっている気がして、友人の結婚式で別れを決断する。それもなんだか切ないような、でもきっと本人たちは「今日だからこそ」という気持ちが強いのだと感じました。

その後の思い出の場所を巡るシーンも2人がとても楽しそうで、きっとお互いが「これで最後なのだ」と思っているからこそ楽しいのかな、と考えると切なくなりました。

「今日楽しかったから明日からもきっと楽しい」と別れたくないという麦くん。

「今日が楽しくてもきっと明日からも同じこと」という絹ちゃん。

またここでも麦くんのプロポーズで相互に結婚、そしてこれからの2人の未来にズレがでてしまって、見ているこちらももどかしくなる展開でした。

何度もみたくなる映画

何が正しいのか、はたまた正しい終わり方なんてあるのか?と思うくらい何度も考えさせられました。別れを選び、それぞれの生活に旅立った上で相手のことを思い出し、同じ価値観を持ち続ける。会えないけれど心の深いところで思いやっているのではないかと思う2人を見ているとなんだか勇気がもらえるような気がしました。

きっと特別なことなんてない、誰にでも起こりうる恋愛物語でだからこそ何度も見たくなりどうしても正解を探そうとしてしまう、そんなお話でした。これから先私は何度この映画を見て涙し、正解を探してしまうのか、未知数ですが本当にこの映画と出会うことができて嬉しいです。

 

「恋をして結婚をする」は決して恋愛の正解じゃない

20代女性

成長と価値観

絹の「好きなことを好きな人とずっと続けていきたい」という子供じみた考え。それは「時には妥協も必要で、人生は楽しいことだけじゃ生きていけない」という麦の成長した価値観に合わず、どちらが正しいでもなく、ただ漠然と溝が広がっていくみたいで心が痛かった。

それでも「最後は楽しく笑って終わりたい」という感情はどちらも一緒で、価値観が違っていてもお互いを思う気持ちは変わらないんだな。と思いました。

思い出と花束とストリートビュー

別れた後に見つけたストリートビューに写り込む麦と絹の二人は、若々しくてみずみずしく、写真に収められた花束みたいに美しく保存されていました。

絹に出会う前の麦が「ストリートビューに写った自分」を美化して「あれ以上の興奮がこの先もあるのだろうか」とぼやいていたのを思い出して、この作品において「ストリートビュー」は美しかったものを美しかったまま残す舞台装置として機能しているような気がします。

花束は枯れ落ちても美しく咲いていた頃の記憶が鮮明に残るように、二人は最終的に別々の道に進んでいき新しく恋人を作って幸せになっていたとしても。

あの幸せだった日々は消してしまいたいような過去ではなく、たまに思い出して、ふふっと笑うような美しくかわいい思い出になっていたんだと思わされます。

恋と愛と、関係性の違いって何?

好きな人と愛し合いたいという気持ちも、好きな人がそばにいるだけでいいという気持ちは似ているようで非なるもので、麦と絹の二人にとってその感情の溝はとても大きかったように思います。ファミレスのシーンの「家族になろう」の言葉に込められた麦の思いは、絹にとっては「それって愛って言えるの?」と疑問に思ってしまうようなものだったかもしれません。

ラストシーンから、二人は復縁することはないだろうな。と思ったけれど、それがすごく綺麗な終わり方だと思ったし、「恋をして結婚をする」は決して恋愛の正解じゃないことがよく表現できている気がしました。

二人の今の交際相手的にはなんとも言えない感情になるかもしれない。でも麦と絹の二人には「たまに会ってしょーもない話をする」ような気の置けない関係になってほしいと願ってしまう映画でした。

 

悲しい、辛い、暗いという気持ちにならない映画

30代女性

ある意味『幸せ』な別れ話

私は別れた人と別れた後は嫌な思いの方が強くなってしまい、もう相手のことを考えたくもないと思うことしかなかったので…

麦と絹のような気持ちになった恋愛を経験できなかったというのもあって、ラストのシーンはすごく良いなと思いましたし、別れ話でハッピーエンドの結末ではないのになぜかすごく良い終わり方だなと感じることのできた映画でした。

手を振る=良い別れの暗喩?

最後のシーンの中で印象に残っているのが、お互い新しい恋人ができてから偶然街中で再会した時に、お互いが背を向けたまま手を振るシーンとストリートビューに偶然写りこんでいるのを見つけたシーンです。この二つがこの映画の中ですごく印象に残っているし、私はこのシーンが大好きです。

まず、お互いが背を向けたまま手を振るシーンについてですが、お互いがどっちとも手を振るということに、別れた後もお互いが嫌な思いをしていなくて、良い別れ方をしたと思えているんだなと感じました。恋人という関係ではなくなってから、お互いが良い恋だったなと思えているからこそできる行動だなと思います。

次に、偶然ストリートビューに写りこんでいるのを見つけたシーンについてですが、このシーンは個人的に一番好きだなと感じました。このシーンで私はなぜか泣けてきました。幸せだった頃のことを思い出して、あんなふうに思える恋を経験できたこと、いいなと思います。

二人で過ごした時間がどれほど『花束みたいな恋』だったか

花のようにいつか枯れてしまうし、いつまでも美しく続く恋はなかなかむずかしいという意味もあるのだと思いますが、絹と麦にとって二人で過ごした時間がどれほど花束みたいな恋だったかが伝わるシーンが最後のシーンだった気がします。

二人がお別れをするという話で、悲しいはずなのに映画を見終わったあとに悲しい、辛い、暗いという気持ちにならない映画だなと思えたのもラストシーンが良かったからなのかなと思います。映画を見終わるとモヤモヤするなーというものもあるのですが、この映画はそれがなかったです。

 

バットエンドな終わり方に見えて、ハッピーエンドでもある

20代女性

別れ話から垣間見える『男女の心理』の差

お互いをスマートフォンで動画に収めながら、付き合ってくださいと告げた思い出のファミリーレストランで、別れを告げるシーン。

お互いの知人の結婚式で、幸せの余韻に浸りながら、あえての自分たちの思い出の場所で別れを告げるその姿には、彼女側の決意を感じました。もう決別をすると心に決めて、何を言われても覆らないという女性の強さを感じました。

でも、幸せの雰囲気の後で、思い出の場所に行って「やっぱり別れたくない」と引き止めたくなるのが男性の心理だと思います。あるあるだなと思いながらそのシーンを見ていました。自分にも経験があるし、友人の経験談でもあるので、日常にありふれた別れ話がよく描写されていると思いました。

別れてもなお、同棲生活を送った意味

吹っ切れたからこそ、2人で同棲生活を送れたのだと思います。

すでに二人は恋人同士ではない。形式的にも心理的にも。どちらかに気があって、どちらかが吹っ切れていれば一緒にいることは成り立たないと考えるからです。

きっと葛藤しながら、話し合って話し合って、あの結末に繋がったのだと思います。見ていて親近感がわき、同時にとても切ない気持ちになりました。

新しい恋人と隣合う2人

最後は新しい恋人が出来て、手を振るシーンで終わります。4年という長い年月。色々な楽しいこと・苦しい事を乗り越えた2人であっても、終わりが来てしまえば意外と時間が解決してくれて、新しい出会いと共に再出発できるんだなと思いました。

最後に別れてしまうという『一見バットエンド』な終わり方に見えましたが、私はハッピーエンドでもあるかなと思いました。

お互いに彼氏・彼女が出来ていて、前向きに相手を応援し合いながらまた新しい関係を構築出来るというのは『終わりよければすべてよし』という言葉がよく似合っているなと思いました。

とても甘くて切なくて、どこにでもあるような話で、思わず最後のシーンまで感情移入して涙が止まらない作品でした。

 

まとめ:『花恋』ラストシーンの考察は尽きない

普遍的な「男女の出会い~別れ」を描いているにもかかわらず、見る人の価値観・恋愛観・恋愛経験によって捉え方が変わる。

『花束みたいな恋をした』という映画がこれほど多くの人に愛され、大ヒットを記録したのはある意味必然だったのかもしれませんね。

1年後、3年後、10年後にまた観たときどのような感情をいだくことになるのか。単なる恋愛映画に収まらない、考察の尽きない映画と感じました。

 

  • この記事を書いた人

齋藤

映画ドラマアニメ全般好きのネタバレオールオッケー女。ネタバレNGな人には最大限配慮。好きな映画のジャンルは歴史・ヒューマンドラマ・アクション。テンアゲ映画が大好きで年150~200本鑑賞。星ひとみさんの占いは下弦の月人間でコジコジが大好き。スラムダンクは水戸くん、鬼滅の刃は縁一推し。

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