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映画『アフターサン』ラストシーンを考察&解説|父親のギプスの意味は?

映画『アフターサン』ラストシーンを考察&解説|父親のギプスの意味は?

こちらの記事では

『アフターサン』の

  1. 映画の考察&解説
  2. 似ている作品

について映画ファンの方に答えていただきました。
※映画本編の内容に言及しておりますので、未視聴の方はお気を付けください。

ぜひ『アフターサン』映画本編と一緒にチェックしてみて下さいね。

 

『アフターサン』映画のタイトルの意味を考察

映画『aftersun/アフターサン』のタイトルに込められた意味をとは?

「アフターサン」には"日焼けをした後に塗る保湿ローション"の意味がありますが、なぜこのタイトルが付けられたのかを考察していただきました。

 

ソフィが父・カラムとの一夏の思い出を忘れずに守るという意味

女性

"アフターサンローション"が肌を日焼けの炎症から守るように、ソフィが父・カラムとの一夏の思い出を忘れずに守っておくということが本作のテーマだからだと思います。

日焼けした後に何も処置をしなければ元の肌が荒れていきますが、記憶も同じで本人が当時を振り返ったり、ビデオやカメラを通して記録を残したりしないと、風化されやがて忘れられてしまいます。
本作は、父・カラムと同じ歳になった娘・ソフィの視点から描かれた記憶の物語で、彼女がビデオカメラの映像を見て、カラムとの思い出を振り返るという行為そのものが、「アフターサン」に擬えられているのだと思います。

監督自身も、本作は「自分と父親の思い出が反映されている」と言及しているので、やはり記憶を映像に残して覚えておくという意義がこの映画には含まれていると思います。

 

保湿ローションのように傷ついた心が癒されていく救済展開を示唆している

男性

この映画は、幼少期と壮年期の2つの時間軸を通して、主人公のソフィが亡き父・カラムを追想していく過程を描いたヒューマンドラマです。
幼い頃のソフィはカラムに対して、「パパと離れていても太陽を見れば近くに感じられる」と無邪気な発言をしていました。
しかし、大人になるにつれて当時の父親の気持ちをまるで分かっていなかったことを嫌でも思い知らされ、後悔の念が日焼けの痛みのようにジリジリと彼女の心を苦しめ続けていました。

この映画のタイトル『aftersun/アフターサン』は、そんなソフィが父と過ごした最後の夏の思い出を回想することにより、まさに保湿ローションのように傷ついた心が癒されていく救済展開を示唆しているのではないでしょうか。

 

父・カラムのギプスの意味

映画本編にて、父親・カラムは当初ギプスを装着していて、本編途中で外すシーンがありますが、「ギプス」にはどのような意味が込められていたのかを解説していただきました。

 

「ギプス=生きようとする意思」だった

女性

カラムのギプスは、生きようとする意思の表れだと思います。

彼がギプスをつけている理由ははっきりと明かされませんが、何かしらの怪我の処置のためで、医者からつけるよう言われていると想定できます。
つまりギプスは、怪我を治療してカラムの体を健康な状態に戻し、生きながらえていくための道具です。
三日間のバカンスの中で、医者が登場するシーンはないので、おそらくカラムは生きるために付けていたギプス、怪我を治すために付けておかなくてはならないはずのギプスを付けることを拒否したということになります。
カラムが自殺をするのはバカンスの後のことですが、ギプスを外すシーンは、カラムが生から死の世界に大きく近づくシーンだと思います。
ギプスを外すことで、生きることを諦め、ソフィと別れてから死ぬことを意識したのだと思います。

 

「良き父親」であろうと足掻く心の焦燥感を暗喩するアイテムだった

男性

ソフィの父・カラムは、幼い頃から鬱屈とした人生を余儀なくされてきたキャラクターとして描かれています。
親に誕生日すら覚えてもらえていなかった彼にとって、愛娘・ソフィを幸せにしたいという想いは人一倍強かったはず。
しかし、経済的に困窮した生活を送り、娘ともたまにしか会えないのが現状。
理想と現実の不一致にもがく中でイラ立ちを爆発させた際に、何か硬いものに腕をぶつけて怪我してしまったのでしょう。

カラムの腕のギブスは、ままならない人生の中で「良き父親」であろうと足掻く彼の心の焦燥感を暗喩するアイテムのように感じました。
本来、怪我を治療する上で欠かせないギブスを強引に外そうとする行為は、束縛から逃れて自由になりたいと願う破滅願望を示唆しており、カラムが悲惨な最期を遂げてしまったことを視聴者に予感させます。

 

ラストシーンとその後を考察/カラムはどうなる?

映画本編のラストシーンで、ソフィを見送ったカラムが扉の向こうへ消えていきますが、どんな意図が込められていたのかを考察していただきました。

 

未来へ進むことを断念し最期を迎えたことを隠喩

女性

ラストの別れのシーンで、帰路に立つソフィは未来への入り口に立っています。
一方、カラムはソフィがいる未来への道とは反対に歩き出し、扉の中に消えていきます。
未来へ進むことを断念した彼は、自分の家のある場所に戻るのではなく、トルコの地に留まり、そこで最後を迎えるのかもしれません。

ビデオカメラの映像は、幼少期の美化された思い出と、カラムと同じ年になったソフィ目線の決して美しいだけではない思い出を区別する狙いがあると思います。
作品内の描写から、大人になったソフィには同性のパートナーと小さな子供がいることがわかります。

子育てに翻弄され、同性愛者として生きていく上で葛藤を抱えているであろうソフィが、改めてビデオを見ることで、ざらついた映像に映るカラムのうちにある葛藤に共感するのだと思います。

 

父との別離を受け入れることが出来たソフィの精神的成長を示唆している

男性

この映画の最大の特徴は、カメラの映像を織り交ぜることで現実と空想が交錯する独特なストーリー構成にあります。

作中では明言されていませんが、おそらくソフィが大人になった時点で父・カラムは既に他界しており、思い出をたどることでしか父との接点を持つことが出来ません。
ビデオカメラの映像は、まさに「ソフィの眼」から見た父親の姿の投影。
どんなカメラでも画角外の風景を撮影できないように、血の繋がった親子でありながらソフィはカラムの一部しか見ていなかった哀しさを表しているように感じました。
そして、いつまでも一緒に居られると思っていた父が扉の向こう(別の世界)へ行く演出は、無意識の内に目をそらし続けていた父との別離を受け入れることが出来たソフィの精神的成長を示唆しているのではないでしょうか。

ラストシーンでソフィの子供らしき声がかすかに聞こえるように、その後は「娘」から「母」となったソフィの新たな人生が始まるのでしょう。

 

印象に残っているシーン

映画本編で印象に残っているシーンと理由を挙げていただきました。

 

夕食時にポラロイド写真を撮ってもらうシーン

女性

カラムとソフィが夕食の間に、ポラロイド写真を撮ってもらうシーンが特に印象的でした。

撮ってもらったポラロイドが画面に映し出され、だんだんと写真が浮かび上がってくる様子がワンショットで撮られていて、そこに二人の会話の声が重ね合わせられています。
二人の休暇も終わりに差し掛かり、映画全体の切なさを象徴するシーンでもあると思いますし、だんだんとはっきりしていく絵は、ソフィの心に二人の姿が焼き付いていくようでもあります。

本作は、撮影に使われているカメラ、劇中に登場するビデオカメラでの「映像」が多くを占める作品ですが、ここで登場する「静止画」は、ソフィとカラムの二人で過ごせる時間が永遠に止まってしまうことを表しているようでもあります。

 

カラムが深夜に入水を図る場面

男性

深夜にカラムが一人で入水を図る場面が特に印象に残っています。

カラムは日中でこそ愛娘のソフィの前で良き父親を演じていますが、一人になると暴力的な行動を繰り返し、精神的に不安定な状態であることをうかがわせます。
ソフィを真剣に慈しむ一方、何もかも投げ捨てようとする逃避願望を抱いているのは実に人間的でリアルでした。
ソフィに日焼け止めクリームを塗ってあげている時の穏やかな雰囲気と、鬱にさいなまれている時の緊迫した雰囲気の対比があまりにも切なく、物悲しい映像美に強く引き込まれました。

親子の絆をテーマにした作品でありながら、綺麗事だけを描いていないのがこの映画を名作たらしめている要因の一つと言えるでしょう。

 

カラムが誕生日を祝われるシーン

女性

父親・カラムを演じたポール・メスカルが印象的でした。

初見の俳優さんでしたが、この作品で知ってから出演作品を追いかけるようになりました。
これまで映画でよく描かれてきた特にマッチョな白人男性というイメージから逸脱し、より繊細さや儚さといった男性性とは無縁と思われてきたような要素が強調されたキャラクターで、自己主張をしすぎない演技で自然に演じられていました。

特に、遺跡のような場所で、ソフィや他の観光客に誕生日の歌をうたわれ祝福されるシーンでの表情は、彼にしかなしえないものなのではないかと思います。
主役になり、注目を集めることで困惑し、感情をうまく表現することができず、コミュニケーションに苦手意識のある控えめな男性という、これまでにはあまり見られなかった男性像が、新鮮に映ったシーンでした。

 

父娘が踊りを披露するダンスシーン

男性

終盤にフロアでカラム&ソフィ父娘が華麗な踊りを披露するダンスシーンが印象的でした。

この場面で流れているBGMは、ロックバンド・クイーンとデヴィッド・ボウイのコラボによって誕生した楽曲「Under Pressure(アンダー・プレッシャー)」。

タイトル通り、世俗の理不尽に打ちのめされながらも足掻く人間の志を綴った名曲であり、カラム達の関係性に見事にマッチしています。
思うようにいかない辛いことだらけの人生の中で、健気に寄り添う親子の儚い姿は涙なくして見られません。
性差、年の差などの境遇の違いによりすれ違いが生じても、この瞬間だけは紛れもなく一つになっている感動が伝わってきて、二人の家族愛がどんな美辞麗句よりも真っ直ぐに心を揺さぶります。

 

『アフターサン』が好きな人におすすめの映画

 

僕らの世界が交わるまで

女性

ジェシー・アイゼンバーグ監督作品の『僕らの世界が交わるまで』(2022)をおすすめしたいです。

『アフターサン』は、切ない親子の物語という側面だけではなく、既存の家族意識のようなものとは異なる、もっと複雑な親子の繋がりについて描かれている点が、新鮮で評価されている点だと思います。

『僕らの世界が交わるまで』も、反発し合う母親と息子の関係がとても細やかに、でもエネルギッシュに描かれている作品です。
Z世代の息子とその母親の分かり合えなさという2020年代特有の家族観が表現されています。
『アフターサン』も『僕らの世界が交わるまで』も、見終わったあと、自分と親、もしくは子供との関係について改めてじっくり考えたくなる作品だと思います。

 

家族を想うとき

男性

『aftersun/アフターサン』を観て感動した方には、ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』という映画もおすすめです。

『家族を想うとき』は、宅配ドライバーとして働く父親・リッキーとその家族の関係を描いたヒューマンドラマです。

妻と二人の子供を養っていくために頑張っているのに、寝食の自由すらないほど過酷な労働環境に翻弄されて親子が徐々に断絶していく様子がリアルに描かれていて、日本社会にも通じる皮肉的な構図に強く考えさせられます。

「仕事」と「家族」の狭間でもがく貧窮労働者一家のやり取りには、『aftersun/アフターサン』のカラム・ソフィ父娘とは一味違った緊迫感があって引き込まれることでしょう。
社会風刺系のホームドラマがお好きな方は、ぜひ視聴してみてください。

 

まとめ

『アフターサン』の

  1. 考察&解説
  2. 似ている作品

についての解説と考察でした。

新たな視点や納得のいく考察はありましたか?

ぜひ『アフターサン』と一緒にチェックしてみて下さいね。

 

※本ページの情報は2024年3月時点のものです。

 

  • この記事を書いた人

齋藤

映画ドラマアニメ全般好きのネタバレオールオッケー女。ネタバレNGな人には最大限配慮。好きな映画のジャンルは歴史・ヒューマンドラマ・アクション。テンアゲ映画が大好きで年150~200本鑑賞。星ひとみさんの占いは下弦の月人間でコジコジが大好き。スラムダンクは水戸くん、鬼滅の刃は縁一推し。

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